【イタリアの学校には不登校はあるか】
このテーマでご質問をいただきました。
日本では社会問題の不登校。
イタリアの学校ではどうなの?
結論としては、社会問題と
言われるほど数が多いとは
思えません。日本と比べたら
少ないのではないでしょうか。
個々に様々な体験談をお持ちかとは思いますが、
このテーマを見据えて、子供が産まれて来る
タイミングからのイタリア社会の一般的な
反応をお伝えしますね。反応です。
何に人がどう反応するのか。
先ず、子供が産まれてくる
ところまで遡りましょう。
(写真)舞台発表をわきで応援する担任の先生たち 皆揃いも揃って声を出さずにセリフを大口開けて唱えている姿が微笑ましい イタリアの小学校
……………
一女性の妊娠がわかった時、会社や隣人、地域人々、家族はその女性にどう反応し関わっていくのか。
周囲の反応として日本と違うのは、他人の冠婚葬祭、今日誰と夕食したかのような些細なことから浮気まで、個人的なことに必要以上に口を突っ込んでこないという点があります。日本はそれに怯えていて、通常の生活に支障をきたしている人が断然多い気がするのです。
欧州個人主義の国の良い点は、他人の庭とうちの庭の境はここ。自分のうちの庭が平穏かどうかに興味があり、隣の家に対する関心はほどほど。うちに迷惑をかけてこなければ好きにやってて結構。という感じで、基本的に他人との境界線に対するリスペクトがあり、またはそれを超えてまで関わることに対する無関心さがあるため、人は、うちの庭にいれば安堵でき、裸で歩いてのびのびできるという、ベースとしての安全圏を個々が自然と持っている点が挙げられます。
もちろん妊娠を機にリストラとか、彼女が妊娠して私焦るわとジレンマするとか、イタリアでもいろいろありますが、それは傍に置いておき、不登校について話したいと思います。
妊娠を喜ぶ。それはその一女性の権利だから。
それはそのまま妊娠中も続き、誕生もそのリスペクトをもって迎えられます。
あの人昇進したら妊娠に踏み切ったわね…陰口を叩く同僚はいるでしょう。しかし、それは彼女の権利だから、それを利用しただけ、との解釈に落ち着き、それ以上そこをこねくり回しその女性を攻撃するという現象はほとんどない気がします。つまり、必要以上に、「個人の庭に土足で入り込む人」はあまりいないといっていいのではないでしょうか。(例外を挙げるとキリがないので一般的な空気はどんなものかを書いています。)
ヨーロッパが育てた生命の尊厳の深さは
そういう部分に垣間見られます。
このような状況で、必要以上に他人の安堵の地に文句をつけ非難するような人は逆に軽蔑されるべきと考えられるのがイタリアでは普通な気がします。その点大人です。
生まれた子供は、家族以外からもそれはそれは可愛がられます。その母は皆に見守られます。人としてよかったね、当然の権利・それを謳歌すべき。幸せを最大限に味わうべきだという空気に包まれて生きていけます。こういうシチュエーションで、大人のいじめや嫌がらせが発生するケースは正直、見たことがありません。
このまま、生まれた子供は保育園や幼稚園、学校に行くようになります。公園デビューという言葉は日本だけで利用されているのではないでしょうか。なぜその輪を気にしながら子育てして生きていかなければならないのか。イタリア女子にはとんと分からないと思います。自分は自分、今日はお天気がいいから少し散歩してきた。ここに周囲のママ友が何も関与してきません。たまたまいたら会おうね、いなかったらまた明日。それ以外の何ものでもないのです。
さて、学校、教室はどんな雰囲気なのでしょう。
【2】に続く…
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