【1】と【2】の続きです。
いじめ、あります、ないことはないです、イタリアも。
しかし、日本のそれとは性格がずいぶん違うケースが多いような気がします。
子供たちも大人同様、必要以上に「人の庭」には入ってこない気がします。
人の庭の周辺に意地悪の砦を築くというケースもあまりない気がします。
もちろん、いじめそのものはありますが、たいていちびっこギャング的なものだったり、早熟な女の子がグループになって弱そうな女の子にいじめを働くとか、そんな種類の現象な気がします。あまり手の込んだ執拗ないじめはそれほど見かけない気がするのです。そこまで「仕返し的な仕打ち」をする必要性がそもそも発想として出てこないのではないかと感じます。
学校でも、友達からも、親からも、自分の庭に土足で踏み込まれることが圧倒的に少ないイタリアの子供たちは、のびのび育っている方な気がしますし、これこそ守ってあげたい個人の尊厳なのです。
親は子供に聞くのです。あなたはどうしたいの?と。
日本よりは一般に会話は多いと思うのです。相手の意見を聞くという姿勢や、相手が好まない内容でも、それを怯えずに表現できる土台が普通にあると言う点も大切な点です。
これやらないならこれしてやらない、こうしないとこうなれない、みたいな、前置きとして準備されている脅しの構図が少ないのが、イタリア社会な気がします。
あなたの穏やかな生活、幸せこそ、私も望むものよ。のスタンスが一般的な考え方、尊重されている考え方であるが故に、そこを踏み躙られストレスを感じすぎることがなく、行き場がなくなるという構図になりにくい社会のあり方がイタリアにはあるかなと考えます。
不登校もこのような根本的なあり方が複雑に悪く絡み合い、起こるものではないかと思います。他にもいろいろな要素があるとは思いますけれど。
ざっと、思いつくままに書きましたので、深く思慮した上での投稿ではないため、足りない部分が多いかとは思いますが、お許しください。
家庭の基盤が健全であるべきと言う点はもちろんのことですが、学校に友情と興味があるものがあるかぎり、子供はなんとか通えるのではないでしょうか。
2023年6月 フィレンツェ
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