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欧州内・イタリアの高校生留学体験・2

ここで受け入れたドイツの学生の家に今度は数ヶ月後、泊まりに行きます。共同生活がうまくいかなかった場合は、別の学生の家庭に引き取ってもらうなどは、先生方も真摯に対応、お互いスムーズに良い滞在となるよう臨機応変にケアしているようです。でもそんな風にして何年も伝統的に学生交流が行われてきているのです。

1週間のスケジュールは、基本的に授業ではなく、フィレンツェの街中の美術館や博物館に毎日通っていました。かなり自由時間もあり、高校生達の興味にあわせて町中を闊歩していたようです。朝から夕方まで外で過ごしており、夕食後にまた外で皆待ち合わせなど、フルに青年たちは滞在を謳歌していましたので、親御さん達はというと、毎日のお弁当作りに始まり、その送り迎えやサポートに対応しと、まあまあなハードスケージュール。ドイツに住む女の子は何が苦手で何が好きだろう…手探り状態で食べ物を判断、包んで持って行かせる母たち。我が家は、私も夫も1日半ほど仕事を休みにして掃除や準備、送り迎えから食事づくりなどに対応。仕事オフにしてちょうどよかったねと夫と苦笑していましたが、我が家にやってきた女子高校生はとても良い子で、なんでも食べ、娘とも気が合い、滞在を楽しんでいましたので、こちらとしてもそれはそれは嬉しかったのでした。

イタリアでは何が美味しかったのか?

カルボナーラ・ピザ・ラザーニャ

この辺は、とりあえず、学生の胃袋を掴む定番メニューですね。他、野菜のポタージュスープも食べられたし、何気にトリュフが味の好みだったので、サンドイッチをトリュフ風味にしてあげたりもしました。

欧州の学生が必ず見にいく街中の美術館

それは、パラッツォ・ダヴァンツァーティ博物館です。

1300年代のフィレンツェ裕福層の屋敷の一例として、歴史の教科を学ぶ一環として、学生は学校の社会見学で必ず訪れます。

中世からルネサンス時代へと建築的に都市の表情が変わる様子を追うのに、大事な例となる建物です。中世「塔の文化」の都市の様子から、徐々にルネサンスへと向けてお屋敷が街中に現れていく、その過程を理解するのに大切な一例、貴重な見学場所です。欧州では、学生の間に一度は見学に行く建物の一つと言えます。説明がないと理解しずらい博物館。ぜひ、観光で訪ねてみてくださいね。

さて、話を元に戻すと、1週間のドイツの学生さん滞在スケジュールは、これまたイタリアンな対応で、日々、予定は未定という面も。美術館等の予約だけは変えられないので、そこだけは、皆頑張って時間通り訪問。市バスが来ないから急遽訪ねるのをやめた隣の町。スケジュールからわからない学生の動きを前日や当日に知る親御さんたちは、臨機応変に送り迎えに対応。当然、ここで発揮されるのは親御さん同士のコラボ体制。滞在6日目の夜は親御さんも含めたパーティーがあり、食べ物調達を命じられていた大人たち、これも臨機応変に数日でオーガナイズ。ピザと飲み物で簡単に済ませるというよくある手を使いました。この夕べのために先生がオーガナイズしたのは、中世伝統舞踊のグループを招待、伝統衣装が壮麗なダンスを披露、最後は学生達も皆で踊ってみたりしました。大人達は静かにじっと見守り役。夜中までには終わりますという先生の発言に、大人達は要領良く掃除をし、早めに退散。皆疲れ切っていて滞在後半は皆寝不足状態なのでした。

約千キロ離れたドイツの一地方から来た学生たちは、乗り換えが2回あるトータル12時間ほどの列車の旅で往路をタフに行き来。イタリアの学生は数ヶ月後、飛行機で飛びます。イタリアに比べ、北欧の人々の方が、広大な土地を車などで縦横無尽に行き来し、バカンスも何千キロを走るのを厭わない、苦に思わない節があるような気がします。今回のドイツの学生達、往路は夜明け5時台に出発したらしいのです。それに比べ、イタリア人は割と楽をしたがりの国の人々な印象が。実際このオーガナイズの違いからもその辺りの差が滲み出ているかなと思ったりしたのでした。

ドイツの学生達が旅立つ日。朝6時58分の列車に乗るため、親御さんは皆5時台から家を出て車で駅まで送りに。別れの瞬間は泣き出す子、ハグして笑顔で旅立つ子、様々でしたが、こうして育む若き日の友情が世界平和に繋がらないわけがないと思うのでした。欧州同士の青年達、お互いを知る環境を高校時代から盛んに経験しており、素晴らしいと思った朝、すでに2杯目のカフェが身に染みるのでした。

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